うつ夫とパニコの人生いろいろ

これは20代でうつ病になった夫とパニック障害になった妻の物語。ゆる~い四コマ漫画とともに人生いろいろな日々をお届けします。

エレベーターが恐い!!「閉じ込められるのでは?」という不安感からパニックに。

「エレベーターが恐い」

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パニック障害になった当時、エレベーターに乗れなかった

パニコは、20代の前半でパニック障害を経験した。

パニック障害になった当時、色々とできなくなってしまったことがある。そのひとつが、エレベーターに乗ることだ。

 

当時は、本当に恐くてエレベーターに乗ることすらできなかった。こうした閉鎖的で自力で逃げ出せない場所に行くと、とてつもない閉塞感と窒息感に襲われてしまう(汗)

 

エレベータに限らず、地下鉄やトンネル、狭い個室空間、圧迫感のある人混みなども同様である。

 

今では、何とかエレベーターに乗れるようになったが、やはり不安が付きまとうのだ。

そのため、ひとりの時は必要最低限しか使わない。(その代わりに階段をよく使うので、ダイエットには有効だ。)

 

 

「閉じ込められる」「逃げ出せない」感覚が不安を煽る

なぜこのような閉鎖的な場所が恐いのかと言うと、「閉じ込められるのでは…?」という不安があるからだ。

 

「逃げたい!」と思ってもすぐには自力で「逃げ出せない」、それがパニコにとって恐怖なのである。(どうやらこれを広場恐怖症と言うらしい。)

 

エレベーターの中では、

 

「途中で止まったらどうしよう」

「閉じ込められたらどうしよう」

「出られなくなってしまうかも…」

 

そんな不安がもくもくと発生し、心を支配していく。

 

こうなると、心臓がドキドキし始め、息ができなくなってしまうのだ(汗)

このまま死んでしまうのでは?という恐怖に陥るのである。

 

 

パニック障害の引き金は、繰り返された過呼吸

 そもそもパニコがパニック障害になったのは、以前の仕事で過呼吸をくり返していたせいだった。

 

実はパニコは、当時ダンスを仕事にしていた。

 全く柄でもないのだが(笑)、内向的な自分への反発から、華やかな世界に憧れを持っていたのだ。(まだ若かったので。)

 

事情により、細かいことを話せないのが残念ではあるが、大勢の人に喜んでもらえる、とてもやりがいのある仕事だった。

 

しかし、やりがいのある仕事だっただけに、がんばり過ぎてしまったのである(汗)

20代の頃は、常に全力投球が大事だと思っていたので、抜くことを知らなかった。

 

そのため、毎日舞台袖で過呼吸になる、そんな日々をくり返していたのだ。

 

 

「がんばり過ぎ」と「我慢」がパニック障害を招く

それでも忍耐で何とかなると思い我慢しまったがゆえに、次第に日常的にも過呼吸のような状態が現れるようになってしまった。

 

特に何もしていないのに、閉塞感のある場所に行くと、死んでしまいそうな窒息感に襲われるようになった。いわゆるパニック障害だ。

 

 

 

不安でこころが支配される!「妖怪ふ~あん」現る

しかし、過呼吸をくり返していた経験はパニック障害の引き金ではあったが、根本的な原因ではないとパニコは思っている。

 

根本的な原因は、パニコのこころの性質にあるのだ。

 

パニコは、もともと感情や思考に呑み込まれやすい性格だった。特に不安や恐怖に支配されやすい。一度不安が発生すると、次々と不安が増幅していく。

 

ある時パニコは気づいたのである。自分の心の中に、不安を煽る存在が居ることに。

 それが、四コマで描いた「妖怪ふ~あん」である。

 

パニコが何か不安に思うと、その瞬間にドロンと現れ、次々と不安要素を引き出してくるのだ。そしてパニコのこころを支配し、不安一色にしてしまう。

 

そんな厄介な妖怪が、パニコのこころには住み着いているようだ。

 

 

不安は自分がつくり出した幻想なのだ!

しかし、この「妖怪ふ~あん」の存在に気づけたお陰で、少し不安とつき合いやすくなったのも事実である。

 

今では不安感が発生すると、心の中で「出たな!妖怪ふ~あん!」思うようになった。

 

こうして、不安を生み出す自分の心を対象化すると、ほんの少し冷静になれるのだ。

そして、この不安は現実では無いと思うことができる。

 

そう! 不安は自分がつくり出した幻想にすぎないのだ。

 

そもそもパニック発作が起こる時も、実際には何一つ苦しくないはずだ。しかし、場所と経験を勝手に結び付けて、勝手に苦しくなっているだけなのだ。

 

不安に支配されてしまうと、そこから抜け出すのは難しい。それが幻想だと気づくことができない。

 

しかし、不安はまだ起こっていないことだ。それを自分で認識することができるようになり、少しずつ不安とつき合えるようになってきたのだ。

 

 

「一息に生きる」一瞬一瞬を丁寧に。

これに関して、パニコも勉強させてもらったおすすめの本がある。

『心配事の9割は起こらない』という、タイトルから魅力的な書籍で、禅の教えがたっぷり詰まっている。

この書籍の中で紹介されている「一息に生きる 」という禅の言葉が、パニコはとても気に入っている。

 

「一呼吸一呼吸、その瞬間を丁寧に生きましょう」という教えで、マインドフルネスとも通じる考え方である。

 

どうして人は、「今・ここ」大切にできないのだろうか。

 

不安、焦り、欲。

心は今ここに無いことばかりに引きつけられ、まさに「今ここに在らず」だ。

 せっかく今を生きているのに、その今を大切にできないことはとても残念である。

 

冷静になってみれば分かることなのに、まったく、心は思うようにならないものだ(汗)

 

でも、だからこそ面白いのかもしれない。自分の心とつき合うのは、もしかすると恋愛や子育てと似ている、そんな風に思いはじめたパニコであった。

 

 

我が家のゴキブリパニック!虫と共存できるのはいつの日か。

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 パニコは超虫嫌い!!

先日我が家に、ゴキブリが現れた。

これは、我が家にとって一大事である。なぜなら、パニコは虫が大嫌いなのだ(汗)

 

虫を見つけたパニコは、プチパニックとヒステリーを引き起こし、一気に戦闘モードに入る。そして、殺虫剤とほうきを武器に、荒れ狂うように戦いはじめるのである。

 

その様子は、もはや正常ではない。

殺虫剤を使いすぎて、自分の喉が枯れたことだってある。(注:大変危険なのでマネしないように。)

 

ふと我に返れば、その異常さは自分でも分かるのだが、虫を目の当たりにして冷静ではいられないのだ。そのくらい虫が嫌いだ。というか恐ろしい。

 

このプチパニックとヒステリーは、自分を守るための自己防衛なのである。

 

パニコはとても感情にのまれやすい性格だ。特に、不安感や恐怖心の制御が難しい。

そういう性格も、パニック障害の引き金になっていたのかもしれない。

 

 

虫嫌いの理由は過去のトラウマのせい?

それにしても、なぜ、こんなにも虫が嫌いなのだろう?

 

パニコは、元々超田舎育ちである。祖父と野山を駆け巡り、虫をかごいっぱい捕まえて遊んでいる子供だった。

 

しかし、あまりにもたくさんの虫を捕まえては、かごの中で死なせてしまうのを見た母親は、ある日パニコにこう言った。

 

「そんなに虫を捕まえてばかりいると虫に呪われるよ。」

 

虫に呪われる…!この言葉が、パニコの心にずっしりとのし掛かったようだ。

悪気なく虫を捕まえて遊んでいたのだが、そのことに子供ながら大きな罪悪感を感じたのだった。

 

それ以来、疲れていたり不安があったりすると、虫に襲われる夢を見るようになった。

巨大化した虫や虫の大群に追いかけられる嫌な夢である(汗)

 

こうして、パニコに中で虫への恐怖心が定着していったのだ。

 

 

「虫=危険」と脳にインプットされている!

パニコにとって虫は恐怖そのものだ。

おそらく、脳で「虫=危険」とインプットされているに違いない。

 

虫を見つけると、アドレナリンが一気に放出されるのが自分でも分かるのだ。

心臓がバクバクなり、全身の神経が過敏になり、虫から目が離せなくなる。

 

そして、その虫が自分の方に飛び掛かってくるイメージをしてしまうから、余計に恐くなるのだ(汗)今考えるだけで、ゾゾッと鳥肌が立つ。

 

もちろん、全ての虫が飛び掛かってくるわけではないし、そっとしておけば虫だって何もしてこないはずだ。

 

でも、パニコの脳内では「虫=危険」なのである。自分に害を及ぼすであろう存在としてインプットされているため、見過ごすわけにはいかない。

 

その結果、過剰反応してしまうのである(汗)

 

 

うつ夫が率先して退治!その真相は?

そんなパニコの姿を見て、最近うつ夫が率先して虫退治をしてくれるようになった。

 

これには、パニコも本当に救われ、ヒーローのように感じていたのだ。

 

しかし、よくよく話をしてみたら、あることが判明した。

それは、うつ夫が助けていたのはパニコではなく虫の方だった、ということだ。

 

パニコがあまりにもヒステリックを起こすので、うつ夫的には虫に憐れみを感じたようだ。そして、パニコに退治される前に虫を逃がして救出していたのだった。

 

てっきり、パニコを助けてくれているのだとばかり思っていたので、これにはさすがに衝撃を受けたが、それでも危険な虫をパニコの視界から遠ざけてくれるなら、その方が先決だ。

 

この際、助けるのは虫でもパニコでもどちらでも良い(笑)

 

 

虫と共存できるのか?危険信号を解除せよ!

パニコだって、できることなら虫と共存したいのだ。虫を好きになれる気はしないが、いちいちパニック&ヒステリーを起こしたくはない(汗)

 

いつか虫が気にならなくなれたらいいなと思う。

 

そのためには、植えつけられた「虫=危険」信号を解除しなければならない。

 

「すべての虫が危険ではない。」「虫の中にもいいやつはいる。」

そんなことを自分に言い聞かせながら、「虫≠危険」体験を少しずつ積み重ねれば、少しずつ変わっていけるのだろうか。

 

人は思い込みでできている。つまり、脳の在り方で世界の見え方が変わるのだ。

 

ということは、脳の在り方をちょっと変えることができれば、きっと虫への恐怖心を解消できるはずだ。

 

コンピューターをアップデートするように、「虫=危険」から「虫≠危険」に書き換えれば良いわけだ。

 

とは言え、これは簡単なことではない。

まだまだ時間はかかりそうだが(汗)、もし思い込みの上書きに成功し、虫への恐怖心を解消できたら、それはとても面白いことだなと、最近は思うようにもなったのである。

 

 

ソロモンのパラドックス!他人のことは分かるのに、自分のことは分からない。

「うつ夫のパラドックス

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うつ夫は食後、8割口に何か付いている!!

私の夫(うつ夫)は、20代でうつ病になり7年ほど闘病生活を送っていた。

その闘病の甲斐もあり、今ではほとんど回復し、激しいうつうつに襲われることもなくなったのである。

 

しかし、そんなうつ夫に対して、パニコにはどうしても気になることがある。

それは、食後の口の周りには、大抵何かが付いていることだ(汗)

 

ふと顔を見ると、ケチャップやミートソースや食べカスなど、何かしら口に付いていて、それが気になってしまうと、話をしていても全く内容が入ってこないのである(汗)

 

最近は多少減ってきたが、闘病中は食後の8割方、口に付いていたと思う(笑)

 

ONEPIECEのヴェルゴも口に何か付けている

こんなに口の周りに何か付けているのは、幼児とONEPIECEのヴェルゴぐらいだ。

 

ONEPIECEのヴェルゴをご存じだろうか。

ヴェルゴは、見た目は強面で強いキャラクターなのだが、いつも口に食べ物を付けてしまううっかり者である(笑)

 

ONEPIECEファンであるうつ夫のリクエストに応じて描いてみた。

(こんな感じのキャラ)↓↓↓ 

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これは、パニコの勝手なイメージ図なので、詳しくは、ONEPIECEの68巻をご参考に。

 

そして余談ではあるが、ONEPIECEと言えば、先日『ONE PIECE STAMPEDE(スタンピード)』という最新映画が公開された。

 

うつ夫もパニコもONEPIECE好きなので、ぜひ観に行きたい。今度はどんな冒険が待っているのか楽しみである。

 

 

精神疾患を患うと「メタ認知」が働かない?

さて、随分と脱線してしまったが、話をもとに戻そう(汗)

 

なぜ、口の周りに食べ物を付けてしまうのか。

それはメタ認知とも、関係しているのではないだろうか。

 

メタ認知」とは客観的に自分を捉える能力のことである。

 

特に、精神疾患を患っていると、冷静に物事を観ることが難しくなってしまう。

 自分の先入観や思い込みが強くなるほど、思考のフィルターが厚くなり、客観的な観点が損なわれてしまうのだ。

 

そのため、自分が他人にどう見えているのかが分からないのである。

 

 

「ソロモンのパラドックス」とは

四コマでも描いたように、「ソロモンのパラドックスという言葉があるらしい。

 

「ソロモンという王は、人に対して的確なアドバイスができるとても優れた王だった。

しかし、自分のことになると、たちまち分からなくなってしまい、失敗してしまう。」

 

このような逸話からこれは、「他人のことは分かるのに、自分にことは分からない」という状態を「ソロモンのパラドックス」と言うそうだ。

 

これは、ソロモンに限らず誰にでも有り得ることだろう。

 

不思議だけれど、人は自分のことを観るのが苦手な生き物である。

外見的な部分で言えば、視覚は外向きに働くため自分のことはよく見えないし、内面的な部分で言っても、思い込みや先入観が邪魔してあるがままを観ることができない。

 

もちろん、パニコだってそうだ。自分のことになると、何が正解なのか分からず、いつも迷子になってしまう(汗)

 

失敗や過ちも、こうしたパラドックスから生み出されるのだ。

 

だからこそ、客観的に自分を捉える努力が必要なのだろう。

そのためには、やはり「メタ認知」は重要なのだ。

 

ウツパニブログがうつ夫の「メタ認知」向上に役立つ?

別の記事でも書いたのだが、このブログは私たちの認知行動療法として始めたものだ。

できるだけ客観的に自分たちの経験や学びをここに記していくことで、より冷静に考えられると思っている。

 

そして、うつ夫にとっても、このブログが「メタ認知」向上に役立っているようだ。

パニコが描く自分の姿を見て、自分のイメージとのギャップを新鮮に感じているのだ。

詳しくはこちらの記事へ ↓

utsupani.hatenablog.com

 

「自分が他人からどう見えるのか」それを知ることは、偏った思考から抜け出し、より正確に自分を認識することを助けてくれる。そして、冷静さを与えてくれるのだ。

 

 

人生の最大の武器は「自分を知る」こと

メタ認知」に関しては、脳科学者の茂木健一郎先生の著書で紹介されていた。

成功脳と失敗脳

成功脳と失敗脳

 

 こちらの本は、成功するか失敗するかは脳の使い方次第であることを、脳科学的に解説してくれていて、大変興味深い一冊である。

その中に、「メタ認知」の重要性についても書かれている。

 

様々な成功者を見ていると、彼らはみんな自分のことをよく知っているなと思う。

 

人から自分がどう見られているか理解している。

だからこそ自分をプロデュースでき、セルフコントロールが効くのである。

 

「自分を知る」ということは、あたり前のようで実に難しい(汗)

けれど、人生を行きたい方向に進んでいくための最大の武器だとパニコは感じている。

 

 

自己観察・自己対話・自己理解

最近の我が家のブームは「自己観察」「自己対話」「自己理解」だ(笑)

精神疾患を経験している二人だけに、変な夫婦である。

 

しかし、自分のことに対して気づきが増えていくのは、非常に面白いことだと知った。

そして、気づいたことがあればお互いにシェアするようにしている。

 

そのお陰もあり、随分と精神的に穏やかになってきたと思う。他人のことを観るように自分を観る習慣が少しずつ身に付いてきたのだ。

 

しかし、うつ夫は未だ口の周りに何か付けていることがある(汗)

内面的には成長してきたけれど、外見的なところに意識が向くには、まだ時間がかかりそうだ(笑)

 

社交辞令がややこしい!!うつ夫の悩み「また食事でも行きましょう」は挨拶?

「社交辞令」

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コミュニケーションが悩みの種

私の夫(うつ夫)は、7年間うつ病闘病生活を送っていた。

夫がうつ病になった原因は、様々な要因が重なり、ストレス処理ができなくなってしまったからだ。

 

ハードな生活や睡眠不足、膝のケガ、人付き合いの悩みなど…、当時の話を聞けば本当に色々あったようで(汗)、相当心がいっぱいだったのだろう。

 

ありがたいことに今ではほとんど回復し、人並みの生活を送れるようになった。

 

しかし、うつ夫には今だに悩まされていることがある。

それが人付き合い、いわゆる「コミュニケーション」だ。

 

 

「社交辞令」が理解できないうつ夫 

そして、最近になってある疑惑が浮上した。

それは、もしかしてうつ夫は大人の発達障害なのでは?ということだ(汗)

 

というのも、うつ夫は社交辞令があまり通じない(笑)

これが、コミュニケーションを困難にさせる要因の一つでもある。

 

特に発達障害の診断を受けた訳ではないのだが、情報収集をしてみると大人の発達障害の一例として、「社交辞令が理解できない」という内容がよく挙げられているのを知った。

 

 

「また食事でも行きましょう」を真に受けてしまう

冒頭の四コマでも描いたように、「また食事でも行きましょう」というようなセリフは挨拶的な意味合いでよく使われるものである。

 

うつ夫はどうしても、この言葉を真に受けてしまうのだ(汗)

だから、「また食事でも行きましょう」と言われれば、本当に企画を立ててお誘いする。しかし、結局忙しいなどの理由で断られてしまうことも多いのだ。

 

こういうことが重なると、うつ夫の中で違和感が生まれ処理できなくなってしまう。

 

 

社交辞令は場を和ませるための気遣い?

もちろん、社交辞令を言うのが悪いという訳ではない。 

社交辞令は、日本の風習の中で育まれた場の雰囲気を和ませるための気遣いなのだろう。

 

お互い良い気持ちでいるために社交辞令が必要な時もあるのだ。

しかし、うつ夫にとって、こうした湾曲的な表現はややこしい限りである(汗)

 

 

「また食事でも行きましょう」に隠された意味

「また食事でも行きましょう」

という言葉を発する時には、大きく分けて次の二通りがあるだろう。

 

ひとつは、本当に行きたい時。もうひとつは、社交辞令として。

 

前者の場合は、きっと具体的な場所や日程の話が積極的に出てくるはずだ。

そうでなければ、きっと社交辞令だろう。(とパニコは思う。)

 

そして、社交辞令の場合、次の3つのことが推測できる。

 

①何となく別れ際の挨拶として使っている

②「今後もあなたとつき合いを継続したいですよ」という好意を比喩的に表現している

③「今日これから行く」という選択を避けるために使う(先延ばし)

 

考えれば他にも様々な意味合いが隠されていそうだが、いずれにせよ、これらは本当に行くつもりでは無いのである。

 

「ダイエットは明日から」という言葉と同じくらい確証のない言葉なのだ(笑)

 

つまり、「気持ちはありますよ!」という表現であって、実際に行動に移すかどうかは別の話である。

 

だから、この社交辞令の言葉は、相手の気持ちだけ受け止めればいいのだとパニコは思っている。

 

 

言葉はストレートな意味だけじゃないから難しい 

しかし、うつ夫にとってはこれが理解しがたいようだ。

他にも、こうした隠された意味を持つ言葉や不明確な表現に、いつも頭を抱えている。

 

人付き合いをスムーズにするために生まれた社交辞令や湾曲的な表現だが、言葉をストレートに受け取るうつ夫にとっては逆効果なのだ(汗)

 

よく言えば素直で真面目ともいえるが、このせいで相手との間にギャップが生まれ、スムーズにいかなくなってしまうのは、全く困ったものである。

 

このように言葉には、ストレートな場合もあれば、隠された意味を持つ場合もあるのだ。

普段何気なく使っているけれど、言葉って本当に難しいものだな、とつくづく感じているパニコなのであった。

 

 

天然パーマに悪い人はいない!?うつ病はコンプレックス克服のチャンスにもなる

「天パコンプレックス」

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うつ病を通じて「コンプレックス」の捉え方が変わった

私の夫は20代でうつ病になり、7年間闘病生活を送っていた。

今ではほとんど、その症状は回復しており、人並みの生活を送ることができている。

 

パニコは、そんなうつ夫と10年ほど共に過ごしてきたのだが、うつ夫には闘病を通じて「変わったなぁ!」と思う点が多々あるのだ。

 

そのひとつが、コンプレックスの捉え方である。

 

本日は、うつ夫の変化のひとつとして、「コンプレックス」についての話をしよう。(ラーメンや魔除けの話ではないのでご注意を!)

 

 

 天然パーマがコンプレックスだったうつ夫

うつ夫は、根っからの天然パーマである(笑)

これが、彼の最大のコンプレックスだった。

 

パニコがうつ夫に出会った頃、うつ夫はストレートパーマをかけていたので、最初は天パだと知らずにいた。(まだ結婚する前の話である。)

 

20代前半と言えば、やはり誰もが自分の容姿に意識が向くものだ。そして、自分にないものに憧れを持つ、そんな年代である。

 

うつ夫も当時は、自分の容姿を気にし、コンプレックスの天パを何とか隠したいと思い、ストレートパーマをかけていたのだった。

 

しかし、うつ病になってなかなか美容院に行けなかった時期があり、次第にうつ夫の髪はくるくると渦巻き始めたのだ(汗)

 

不思議に思ったパニコが「うつ夫って天パなの?」と聞くと、いつも「ううん、ナチュラルパーマ。」と返答されていた。

 

ナチュラルパーマ、つまりは天然パーマである(笑)

 

しかし、彼にとって「天パ」と言う響きが相当イヤだったのだろう(汗)

 

パニコ的には天パはフランス人っぽくてオシャレだと思っているので、なぜそんなに嫌なのか不思議でしかなかったが、とにかく、うつ夫にとって「天パ」がコンプレックスとなっていたのだ。

 

 

うつ病回復とともに、自分の嫌な部分を受容するようになった

しかし、うつ病が治り出すにつれて、このコンプレックスも次第に薄れていったのだ。

 

最近では、「天パの人に悪い人はいないんだ。」とアピールしてくるようになった。(『銀魂』というアニメのセリフなのだとか…。)

 

そう!うつ夫は、いつの間にか天パ愛好家になっていたのだ。

 

つまり、何が言いたいかというと(汗)

うつ病の回復と共に、自分の嫌な部分を受容するようになった」ということである。

 

これは、大きな変化なのだ。

 

なぜ、変化したのか。これはパニコの推測でしかないが、うつ病になってしまった当初より自己肯定感が高まったのではないか。

 

それは、うつ病を通じて一度立ち止まり、自己を見つめ直す時間を持つことができたお陰なのだろう。

 

それまでは、周りの評価に軸を置いてしまっていたのだが、うつ病を通じて軌道修正をし、自分に軸を戻すことができたのかもしれない。

 

コンプレックスは他人と比べることで生まれる

人は、皆それぞれコンプレックスを抱えているものだ。ここで言うコンプレックスとは、アドラー心理学の「劣等コンプレックス」のことである。

 

こうした劣等感やコンプレックスは、他人と比べることにより生み出されるものだ。

 

人にどう見られているのか。人からよく見られたい。

 誰にでもある心の働きなのだが、これが強くなってしまうと自己肯定感が下がり、自分を認められなくなってしまう。

 

自分で自分を認められないのは、非常に苦しいことである(汗)

 

コンプレックスは個性や強みになる!

しかし、よくよく考えれば、コンプレックスは自分の固定観念である。

見方を変えれば、コンプレックスは、もはやダメな部分では無くなるのだ。

 

世の中には、コンプレックスを個性や強みに変えて、活躍している人たちも大勢いる。

 

うつ夫もまた、天パを自分の個性と認め、「天然パーマに悪い人はいない」というポジティブなイメージに変換することに成功したのだった(笑)

 

私たち人間は、ほぼ思い込みでできていると言うが、確かにその通りだと思う。全く不思議だが、どう捉えるかで見える世界はガラリと変わるのだ。

 

自己理解を深め、他人軸から抜け出そう

他人の評価ばかりを気にして、自分を過小評価していては窮屈な人生になってしまう。

 

他人軸を抜け出し、より自由になるためには、自分で自分を知り(自己理解)、自分軸で自己を捉えることが大切だ。そのために必要なのが、「自分を見つめること」なのかもしれない。

 

うつ病は、そんなチャンスを与えてくれたのだった。

 

今ではチャームポイントとなった天然パーマ

 こうして、天パコンプレックスを見事克服したうつ夫は、今では天然パーマがチャームポイント。

 

パニコは、うつ夫の天パを「いじりネタ」にしていたので(冒頭四コマの通り)、素直に受け入れられると若干つまらないのであるが(笑)、うつ夫が元気になったのだから、それで良しとしよう。

 

私たちは人生を通し浮き沈みしながら、何かきっかけがあるたびに自分を知っていくのだろう。

 

そして、ちょっとずつ心の角が取れていく。心が柔らかくなっていく。

 きっとそういうものなのかもしれないなと、パニコは感じている。